情報化社会
東北地方太平洋沖地震により、多くの尊い命が失われたことに、深く哀悼の意を捧げますとともに、被災された方々には心よりお見舞い申し上げます。
テレビや携帯電話、パソコン等の普及以降、情報の伝わり方、多様性は大きく飛躍しました。
世界中の情報が手元にある小さな端末に集約されて、それを読み取り、理解する事が容易になっています。
また、個人からの情報発信も世界中へ展開させる事が可能になっております。
ほんの150年前まで日本は刀に髷(マゲ)を結っていた時代でした。
当時からは想像もつかない発展です。
しかしながら、大量の情報を扱う事が「便利」であるとは限らない状況もあります。
多量の情報の中には真実でない情報も含まれるからです。
集められた情報は個人個人の中で理解され、正しい判断を求められ、それを生かし行動するのが必要とされてきております。
現代人は多くの情報に囲まれ、日常の中で時に難しい判断をしなければならない時があります。
150年前と比べれば考えられないほどの多量の情報を抱えた我々現代人は格段に人間としての処理能力が高くなっている事でしょう。
そしてその判断・処理の負担というのも非常に大きなものになっているのでしょう。
高度情報化社会になってから幾度となくこのような話は展開されていると思います。
日々発展を続け、加速していく時代はより需要の高い情報をより簡単に手元に送り、より正しいとされる情報を理解させ、我々を動かしていくという事になります。
遠くにあったものを近くに、より身近なものに、それは人間同士の関係も新たなものを作りだしていっています。
普段知り合う事の無いような人と電子媒体を通じて連絡を取り合う事が出来るようになった事で、それまで身近なものしかなかった個人の世界を大きく広げる事が出来るようになりました。
この個人単位での世界の広がりは必ずしも喜ばしいものではない場合もあります。結局のところは人間同士の付き合い方が重要となります。
多くの情報を得られる現代でこそ、社会性やモラルといった人間性を大事にし、情報をうまく生かし、より良い明日を目指していければと切に願います。