料理を詠む
新型コロナウイルスによる影響で先が見通しづらい状況ではありますが、一日でも早く終息へ向かうことを切に願います。
「目には青葉 山ほととぎす 初鰹」
さて季節も変わりゆき、この俳句がふと思い出される気候になったのではないでしょうか。
江戸時代前期に活躍した山口素堂の有名な俳句ですね。
目にも鮮やかな青葉を見て、ほととぎすの美しい鳴き声に耳を傾け、初鰹を食べるという江戸の人々が春から夏にかけて好んだものを詠んだとされています。
この句は初夏を想起させる句となっています。
他には、「柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺」なども有名ですね。
こちらは正岡子規の俳句で、秋の情景やにおいが蘇ります。
上記の俳句を聞いただけで、初鰹や柿などの映像はもちろんのこと、味やかおりまでもが呼び起こされます。
俳句は基本的に自然を文語で詠嘆するものであり、その特徴としてこのように季節を表現する季語により描写されます。
現在では日本語のみならず、外国語「HAIKU」としても世界的に広がりを見せています。
調べてみると面白いことに季語を決定している機関などは存在せず、「歳時記」というカタログのようなものに記載されています。
また、複数の出版社から、コンパクトなものや百科事典タイプなど様々な形で出版されています。
(図書館などにあり、ネット通販などでも購入ができます。)
さらには何年かごとに改訂もされており、新たに季語として収載されたものも存在します。
例えば、俳句誕生当時にはなかったクーラーなどが夏の季語として現在の歳時記に載っていることから、その季節の風情やものの在り方が時代によって変化していることが分かります。
つまり、季語とは当時の歳時記の作者が決めたとも言えますし、世俗を意識したという点では、その当時の人々皆で決めたとも言えます。
そして、料理にも移り変わりがあるのではないかと思い、歳時記で実際に調べてみました。
そこで個人的に面白いと思った料理や食材に関する季語を少しだけピックアップしました。
<春>
らっきょう・・・カレーライスでお馴染みの漬物ですが、らっきょうは春の季語となります。因みにカレーライスは季語ではないようです。
愛の日・・・バレンタインデーのことですね。チョコレート自体は春の季語ではありませんが、下記のようにバレンタインデーを連想させていれば2月14日を思わせる俳句つまり春の句となります。青い春が蘇りますね。
「大いなる義理とて愛のチョコレート」 堀口星眠
「愛の日のばりばり潰す段ボール」 夏井いつき
<夏>
ソーダ水・・・夏を代表する飲み物の一つです。サイダー、ラムネも同じく夏の季語です。
かちわり・・・溶けても飲める、頭も冷やせる。甲子園の名物にもなっていますね。
冷やし中華・・・薬味として使うしそ、みょうがの子、添え物として使うきゅうり、トマト、木耳も夏の季語です。
「一生の楽しきころのソーダ水」 富安風生
<秋>
梨・・・昔から代表的な秋果として親しまれています。二十世紀、ラ・フランスなども収載されています。
栗・・・栗羊羹、栗饅頭などの和菓子の他、ゆで栗、栗ご飯、マロングラッセなども秋を思わせる食べ物として収載されています。
「行あきや手をひろげたる栗のいが」 松尾芭蕉
<冬>
成吉思汗鍋(じんぎすかんなべ)・・・羊の肉とキャベツやもやしなどの野菜も一緒に焼く焼き鍋。北海道の名物ですね。
闇汁・・・それぞれが他の人に教えずに持ち寄った具材を入れて煮て食べる鍋。親睦を深める為に行われたのが始まりとも言われています。
「闇汁の杓子を逃げしものや何」 高浜虚子
いかがでしょうか。冬の季語には、鍋などの郷土料理がたくさん扱われていて、大変興味深かったです。
今日までに様々な料理が誕生し、時代によって食への関心や情緒が変化しているんだなぁと俳句を通して感じられます。
また私自身、夏と言えばカレーと思っていたのですが、収載されていないことに驚きました。
歳時記に載っていないということは、世間的には夏料理ではないということでしょうか?もしくは日常食として周知されているからでしょうか?
いずれにせよ、明治期に発句から俳句と命名し文芸として確立したとされている正岡子規が「歳時記よりも実情を優先せよ」と歳時記にとらわれずに四季折々を感じたままに詠むことを世に広く伝えていたように料理も同じく、各々が食べたい時に、季節を感じたい時に自然に感性を楽しむものと言えるのではないでしょうか。
コロナ禍により外出して季節を感じにくいご時世ではありますが、料理で季節を楽しむことはできます。
皆様も食卓で季節を感じてみてはいかがでしょうか。
最後に一句、「汗をかくグラスに映るカレーライス」
参考資料
『季語の誕生』 著:宮坂静生
『合本俳句歳時記 第五版』 編:角川書店
『オールカラー よくわかる俳句歳時記』 著:石寒太